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2026.01.23

1150年の歴史を「志」でひらく。祇󠄀園祭を支える宮本組とボランティア志丁組の挑戦

1150年の歴史を「志」でひらく。祇󠄀園祭を支える宮本組とボランティア志丁組の挑戦

日本三大祭りの筆頭、京都・祇󠄀園祭。1150年以上の時を越えて受け継がれてきたこの祭礼の核を担うのが、東山にある八坂神社の氏子組織「宮本組(みやもとぐみ)」です。

伝統の重みを守り抜く集団。ともすれば閉鎖的なイメージが持たれそうですが、それを覆すように、彼らはいまボランティアチーム「志丁組(しちょうぐみ)」を立ち上げる取り組みで外部の力を受け入れ、祭りに新たな息吹を吹き込んでいます。「志丁組」には、東山区民はもちろん、京都の住民、そして移住を検討している人や京都好きの人など、「志」があればどんな人でも参加することができるのです。

今回お話を伺ったのは、まちの外でのキャリアを経て故郷・祇󠄀園にUターンをした、かづら清老舗の現当主であり、宮本組の組頭補佐を務める霜降太介さん。なぜ今、伝統組織がボランティア募集という形を選んだのか。その裏側にある、お金では買えない「志」の力と、地域コミュニティの本質に迫ります。

 

30歳で決意した祇󠄀園への帰還

──霜降さんは、大学ご卒業後、東京の大手広告会社で働かれていたそうですね。

会社には7年間お世話になりました。自分でも結構長く働かせてもらったな、という感覚があります。実は入社当初は「3年くらいで区切りをつけて辞めよう」と考えていたんです。でも、仕事が面白かったこともあり、気づけば7年が経っていました。

 

──そこからどのようなきっかけで、地元の祇󠄀園に戻ってこられたのですか?

一番は年齢的な節目ですね。30歳を迎えたタイミングで「そろそろ地元に戻って、家業に本腰を入れなければ」と考え始めました。もともと、いつかは戻ると決めていたんです。

 

だからこそ、就職活動の時には「若いうちにしっかりと責任ある仕事を任せてもらえる会社」を選んでいました。入社したのは若手にチャンスを与える社風の会社だったので、私にとっては、将来地元に戻って活動するための「修行の場」という側面もありました。自分のキャリアを考えた時、いつか辞めて地元に貢献するという前提に合致していたのが、当時の環境だったんです。

 

宮本組とは?祇󠄀園祭を支える氏子たちの有志集団

──祇󠄀園に戻られてからは、代々受け継がれてきた「宮本組」の活動に参加されています。改めて、「宮本組」とはどのような組織なのか教えていただけますか。

「宮本組」という名称は、文字通り「お宮の、本(もと)にある組」という意味です。八坂神社の近くに住んでいたり、商売を営んでいたりする氏子たちの有志集団ですね。

 

──霜降さんご自身は、おいくつくらいの頃から宮本組に関わられているのでしょうか。

おそらく5歳くらいだと思います。亡くなった祖父や父に連れられて、白い袴姿で祭りに参加している写真が残っています。物心がつく前から、あのお祭りの空気のなかに放り込まれていた感じですね。

写真提供:霜降さん

 

──このまちに住まう方たちにとって、宮本組はどのような存在なのでしょうか。

私の視点だと「地元の旦那衆の寄り合い」という側面が大きいです。地元住人はもちろん、商いをする経営者、職人さんなど、多種多様なバックグラウンドを持つ方々が集まる場です。

 

今風の言葉で言えば「コミュニティ」ですね。祇󠄀園祭の期間だけでなく、年間を通して集まっていますし、今この時期(編集注:2025年12月)も「来年のお祭りをどうするか」という話をしています。

面白いのは、そこに「ななめの繋がり」があることです。年齢を超えて、業種も超えて、神様のためにご奉仕するという共通の目的があるから、自然とコミュニケーションが深まる。都市部ではなかなか見られない、すばらしい仕組みができあがっていると感じます。

 

──霜降さんのお話を伺っていると、祇󠄀園祭は特別な「非日常」の瞬間を持ちながらも、このまちで続いていく「日常」でもあると感じます。

まさにそうですね。観光で来られる方にとっては、山鉾が巡行する日が「祭り」かもしれませんが、このまちに暮らす私たちにとっては、12月に来年の話をすることも、日常の風景の中で八坂神社にお参りすることも、すべてが地続きなんです。

祇󠄀園祭は、「夏が来たら暑い」くらい当たり前の存在で、日常の延長線上にあるもの。だからこそ、ここで暮らす人たちは、祭りを通じて季節を感じ、人とのつながりを確認します。「今年もこの季節が来たね」と声を掛け合う。その積み重ねが、このまちでの心地よさを作っているのだと思います。

 

「ボランティア」から「志丁組」へ。名前に込めた思い

──そんな歴史ある宮本組のなかで、新しく立ち上げたのが「志丁組(しちょうぐみ)」ですね。外部から人を募るという決断の背景を教えてください。

長きにわたり、お祭りの運営をサポートしてもらうために学生アルバイトを雇っていました。人数としては、十分足りていたんです。しかし、役員会で議論に上がる度、足りないと指摘されていたのが「志(こころざし)」の部分でした。

 

──「志」ですか。

そうです。アルバイトとして「お金をもらってミッションを遂行する」という姿勢も一つの形ではありますが、実のところ、なかには体調管理が甘かったり、当日に連絡なしで欠席したりする子もいました。

それよりも、「心からこのお祭りに参加したい、奉仕したい」という熱意を持つ人を集めることはできないだろうか。祇󠄀園祭に対して純粋な思いを持った人が集まったらどうなるのか。そこに賭けてみようと議論が盛り上がったんです。

 

──実際に募集してみて、反応はいかがでしたか?

驚くほどの反響がありました。記者会見を開いて「宮本組の歴史のなかで初めて一般の方を募集します」と発表したところ、日本全国から応募が殺到したんです。北海道から九州まで「祇󠄀園祭を支えたい」という思いを持った方々が、自分の意志で集まってくれました。

 

──学生アルバイトを募っていた頃と比べて、具体的に何が変わったのでしょうか。

やはり圧倒的な「志」の高さです。例えば、お祭りが終わった後、着替えて帰っていく時の志丁組のみなさんの表情。ものすごく清々しい顔をされているんです。

炎天下のなか、慣れない草履で10キロ以上歩くのは、想像以上に過酷です。装束も機能的なウェアではありません。でも、その苦労を共に乗り越えた後の充足感が、あの表情を生んでいるのだと思います。

 

──志丁組のとある参加者の方は「客としてイチゴ狩りに行ってイチゴを摘ませてもらうだけではなくて、苗を植えるところから全部やらせてもらった気分です」とおっしゃっていました。

志丁組はお祭りのゲストではなく、あくまで一緒にご奉仕する仲間です。泥臭い部分も含めて「お祭りを共に支えた」という手応えを感じていただけたのが、本当に嬉しかったですね。

 

──そこから現在の「志丁組」という形になったのですね。

そう、最初からこの名前だったわけではないんです。ボランティア組織を立ち上げた1年目は、まだ名前もなくて、ただシンプルに「ボランティアさん」と呼んで募集していました。

でも、1年目に集まってくれた方々の姿を見て、宮本組のメンバー全員が感激したんです。ボランティアという言葉だけでは、彼らの熱意を表現しきれない、と感じるほどでした。ボランティア参加者からも「宮本組のような名前をつけてもらえると自分たちのことをもっと誇れそうだ」というアンケート回答があり、2年目からはしっかりと名前をつけようということになったんです。そこで「志」を持つ「丁(人)」という意味を込めて「志丁組」と名づけることになりました。

 

外からの風が「志」を燃え立たせる。道具と神事に宿る、敬意の循環

──お話を伺っていると、宮本組の皆さんの行動には、常に八坂神社への深い畏敬の念があるように感じます。

私たちにとって、八坂神社は絶対的な存在です。神社があるからまちが一つになり、観光客が訪れ、門前町として商売ができる。なくてはならない存在ですね。

私たちは神事を通じて人知を超えた瞬間を何度も目撃しています。神輿が出る瞬間に雨がピタッと止んだり、急に雲が切れて光が差し込んだり……。そういう経験の積み重ねが、神様へのリスペクトに繋がっています。

これは理屈ではなく、親から子へ、日常の風景として受け継がれてきた感覚です。私たちの日常は、常に八坂神社と共にあります。

 

──志丁組の方々も、その感覚に触れることになるのですね。

昨年はメンバーからのリクエストを受け、志丁組の皆さん向けに勉強会も開催しましたが、皆さん本当に熱心でした。祇󠄀園祭の成り立ちや歴史を学んだ上でご奉仕してくださるので、自然と神様への敬意が芽生えているように感じます。

彼らが道具を丁寧に扱い、自分から「何か手伝いましょうか」と声をかけてくれる姿は、宮本組のメンバーにとっても大きな刺激になっています。外からの熱い風が、内側にいる私たち宮本組の志を再び燃え立たせてくれる。そんなよい循環が生まれています。

 

純粋に、かっこいい大人の背中を追いかけること

──宮本組の一員として、ずっと活動を続けられる原動力は何なのでしょうか?

神様のすぐ近くでご奉仕させていただける経験は、何事にも代えがたいものです。

私がこの活動を続けているのは、父の影響が大きいです。父は婿養子として、このまちに外から来た人間でしたが、宮本組のなかで自分の居場所を見つけ、仲間と共に一生懸命走り回っていました。その姿が、シンプルに「かっこよかった」んです。

 

──「かっこいい」という感覚は、大切ですね。

はい。こんなことを言うと怒られるかも知れませんが普段は普通のおっちゃんに見える先輩たちも、お祭りの瞬間に見せる背中は本当にかっこいい。自分も将来、あんな風になりたいなと思わせてくれます。それがモチベーションにもなるんです。

 

──最後に、これから祇󠄀園祭や東山に関わりたいと考えている方へメッセージをお願いします。

まずは、この京都・東山というまちを思いっきり楽しんでほしいです。寺社仏閣など建造物のハード面だけでなく、お祭りのようなソフト面の魅力もたくさんあります。

もし興味が湧いて、自分も何か役に立ちたい、ご奉仕したいという気持ちが高ぶったら、ぜひ志丁組の門を叩いてみてください。私たちは、同じ「志」を持つ仲間をいつでも歓迎します。

伝統は、護ることも大切です。一方で、思いを持つ人たちと共に継承し、洗練させ、作り上げていった結果が未来の「伝統」につながると私は信じています。

 

いまを生きる人々の「熱量」で伝統をつないでいく

霜降さんのお話を通じて印象的だったのは、伝統とは過去の歴史を守ることだけではなく、現代に生きる人々の熱量でつないでいく「動的な営み」であるという点です。

1150年続く伝統の輪を外へと開いた「志丁組」という取り組み。それは、単なる人手不足の解消ではなく、東山というまちが持つ濃密なコミュニティの門戸を開放したことを意味しています。

祭りが日常の延長にあり、世代や職業を超えた「ななめの繋がり」が当たり前にある暮らし。そこには、効率や便利さだけでははかれない、人としての根っこを張れる安心感があります。志丁組の清々しい表情の先に、私たちが現代の暮らしで置き忘れてきた「誰かと共に生きる手応え」という、東山の本当の魅力が見えた気がしました。

インタビュー・文:オギユカ
撮影:原 祥子

宮本組WEBサイト
https://gion-miyamotogumi.jp/