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2025.12.26

映像作家 Shuma Jan、日々の暮らしの積み重ねが自分自身を少しずつ動かす

映像作家 Shuma Jan、日々の暮らしの積み重ねが自分自身を少しずつ動かす

寺社仏閣やお茶屋が立ち並び、京都屈指の観光エリアとして知られる清水五条エリア。そんなにぎやかさをよそにひっそりと佇むのが、築100年以上の町家長屋「あじき路地」です。

「どうも。よろしくお願いします」

こちらが声をかける間もなく、外に気配を感じて戸を開けてくださったのが、映像作家・映像ディレクターとして活躍する、Shuma Janさん。コマーシャル映像からアート作品まで、幅広いジャンルの映像を手掛けています。
2024年に東京から京都に拠点を移し、制作をするShumaさん。東山エリアでの暮らしや、環境が自身にもたらすものなどについて伺いました。

 


 

自然の中に歴史がある京都へ。町家暮らしはすべてが面白い

──もともとは東京にお住まいだったそうですね。

はい。京都に住む前は東京に住んでいて、組織に所属しながら映像のディレクターやエディター、色を調整するカラリストなどの仕事をしていました。
京都には2024年に越してきて、1年半ほどです。それから個人で仕事を始めたので、最近は一人や小規模のチームでできる仕事が増えました。自分で撮影もしますし、内容もコマーシャルよりドキュメンタリー系が増えるなど、京都に来てから仕事にも変化があります。

──移住先を京都にされた理由を教えていただけますか?

僕は定期的に引越しをしているんです。生まれは愛知なんですが、その後カナダ、神戸、東京と国内外問わず暮らしてきて、東京で働いていた時も岡山と二拠点で暮らしていた時期がありました。東京にはない自然のそばに身を置きたくて、海の近くに住んでみたいな、と。京都は、自然の先にある歴史により触れられそうだなと思い、選びました。

もうひとつは、京都は海外の方が来られる機会が多いこと。世界中の人と一緒に何かをするチャンスがたくさんありそうだなと感じていました。
もともと京都にはプライベートで旅行にも来ていましたし、撮影の仕事も結構ありました。でも撮影だと基本的に車に乗せてもらって移動するので、どこにどんな場所があるのかはよくわからずで。有名なカルチャースポットや寺社仏閣、喫茶店などエリアもさまざまなスポットを撮影したんですが、実際にそれが京都のどのあたりにあるのかはつながっていませんでしたね。住んでからまちを歩いている時に「ここ、来たことあるな」と思ったら、すでに撮影で訪ねていたということもあります。

──すでに訪問した場所でも、再発見があると楽しいですよね。住む場所に東山区を選ばれたのはどうしてでしょうか?

住む場所を探していた時に、友人がこの「あじき路地」のことを教えてくれました。ふらっと見に来たら、偶然にも入居者募集の張り紙があって。電話すると、ちょうど入れ替わりの時期だったようですぐに入れますよと教えていただきました。

普通のアパートも探していたんですが、せっかく京都に住むなら京都らしいところに住んでみたいなという気持ちがあったんです。しかし、不動産業者に行ってもなかなかこのような町家は見つけにくいので、運良く出会えたなと思います。

──京都は各地に個性的な路地がありますが、中でもあじき路地はクリエイターの方のみが入居できる、ユニークな路地ですよね。

そうですね。アトリエ兼住居として使えるように貸し出されているので、基本的には何かを制作している方が入居できるようです。僕も事前に大家さんと面談をしたんですが、スムーズに入居することができました。

──あじき路地は昔ながらの長屋町家。現代的な家とは違いコンパクトなつくりだと思いますが、ものを少なくするなど、工夫して住まれている印象です。こうした町家に住むのは初めてだと思いますが、いかがですか?

基本的に快適ですが、冬はすごく寒いですね。夏は割と涼しいんです。日本家屋は夏のためにつくられていて、1階は中庭があって風が通るようになっていたり、直射日光が入らないように設計されていたりして。夏は下で、冬は上でと季節ごとに1階と2階で引っ越すことが町家暮らしで大事なことだと聞いたことがあります。ただ僕の場合、作業スペースを1階にしているんですが、そこで使っている椅子が持ち上げられなくて……。去年の冬、2階に置いている椅子と机で作業をしてみたら腰痛と肩こりがひどくなってしまったので、どうしようかなと考えているうちに気づいたら冬が終わっちゃうパターンですね。

──冷暖房のない時代から、快適に暮らせる知恵が町家には詰まっているのですね。町家に住んでみて面白いことはどんなことでしょうか。

すべてが面白いですね。現代の家に多い、床が木じゃないフローリングとかが嫌いで。ここは歩くと結構軋むんですけど、ちゃんとした木材を使っているんだなと感じて、すごくいいなと思いますね。隙間もありますし、水平が取れていなくて少し斜めになっているところもあって、建築写真を撮るにはどこに合わせるんだ、みたいに思うことも(笑)。

岡山でも築70年ほどの古い家に住んでいましたが、そこはリノベーションもしていてそこまで古さは感じなかったし、町家スタイルは新鮮ですね。ここも土壁や床の材は100年の間に変わっていると思うんですが、梁とかはおそらく当時から同じものじゃないかと思います。

 

路地すぐそばの銭湯や鴨川沿いを楽しむ暮らし

──東山区での暮らしについて教えてください。移住前の生活との変化や、このまちならではの過ごし方があればぜひ聞きたいです。

ここに暮らして、銭湯のある暮らしをすごく気に入りました。京都には銭湯が残っているエリアは他にもあると思いますが、これほど生活と銭湯が密接な暮らしは東山区ならではだなと思います。うちにはシャワーしかないこともあり、一番よく行くのは、路地から鼻先にある「大黒湯」です。撮影が終わって、そのまま熱い湯につかると疲れがとれるんです。冬の町家暮らしはたしかに寒いんですが、熱い湯船に浸かって体を芯から温めることでより楽しんでいます。

東山に暮らすことで、銭湯とか、鴨川沿いを散歩することとか、水辺の近くに住みたいという欲求に応えられる生活ができているなと思います。

──先ほども、岡山を拠点に選ばれた時は「海の近くに暮らしたかった」とおっしゃっていましたね。そうした環境が制作にもたらす影響もあるのでしょうか。

すごくリフレッシュできますね。京都に越してからは、鴨川沿いをランニングし始めて。考えごとをして煮詰まってきた時に走ると、なんだか無になれるんです。走っていると川沿いの季節の変化も感じますね。鴨川の本流から、橋の下で横に分岐するところがあるんですが、雨が降ったあとは石の高さや積み上がっている形が変わっていることに気づいたり、転がっている石の種類が変わっていたり。そういうのを密かに見ています。

──Shumaさんは作家活動として、石を各地に持ち運ぶようすを写真や映像に収めた作品「移動する石」を発表されています。石に注目されるとは、Shumaさんならではの視点ですね。一方で、まちの人との関わりはいかがでしょうか。

知り合いがいない中で越してきたので、徐々に、ですね。この路地は大家さんがいらっしゃるので、時々話しかけに来てくれたり、パンやお菓子を差し入れしてくれたりします。お隣のカフェ「cafe & place 075」もよく行きますし、作業に煮詰まって気分転換に外に出たら、同じように煮詰まっている人たちがいることも。そこで世間話をして、それぞれまた作業に戻ることもよくありますね。

同じようにつくる苦しみの部分を知っている人たちがすぐそばにいることは、安心します。それぞれの個展を見に行くこともあります。

──京都はコンパクトながら人との関わりが密なまちだと個人的には感じるのですが、Shumaさんが人々と交流する中で、他の都市と比べて違いを感じられることはありますか?

どうしても人間関係が仕事につながるか否かのような、損得勘定で話してしまうこともあると思うんですが、京都では今のところそうしたものが少ない気がします。たしかに友達の友達に出会うことがよくあり「誰々さんと知り合いなんですか」とつながりやすいことは多いですね。知り合いに会う率が高いし、反対にやっぱり交わらないところもあるのが不思議だなと思います。

たとえば写真や現代美術、デザインなどアート系のイベントも京都は多いですが、実はそれぞれが違うコミュニティで行われていて。すごく近くにあるのに近くない、こっちもあってあっちもあるような。まちのスケールが小さいからこそ余計に感じるのかもしれません。

 

変わるものと、変わらないもの。京都で未来をまなざす

──東山というまちが、Shumaさんの活動や仕事にどんな影響をもたらしているのでしょうか。

ものづくりや仕事には、どう生きているのかが反映されます。住む場所が変われば見るものも変わるし、見たいと思うものも当然変わってきます。

東京のようなネオンで溢れたまちに住んでいたら、そういう色や光が身近になりますし、一方でこの家の1階を見てもらうとわかるんですが、こうした町家に住むと必然的に目にする色の数が減ってくるんです。自分の体が、彩度の高い色をどんどん受け付けなくなってくる。そうすると、やっぱり撮る写真や映像の彩度もより低くなっていく感じがします。

もちろん京都に住まれているクリエイターみんながそうではないですし、あるいはサブカル系だったり、彩度の高い表現だったりもたくさんありますけどね。きっかけがあって変化していくというより、日々を積み重ねていくことでちょっとずつ新しい考えが生まれてくるのかな、と。

──直接的に受け取るのではなく、少しずつ環境に順応していくことで、変化につながっていくのですね。ところで、東山区は過ごしやすいですか?

住みやすいですね。僕は都会にいるとすごく不安になるんです。渋谷や新宿も行くたびにまちが変わっていて、自分の知っている風景が数カ月先にはなくなっているかもしれない、と不安になります。

京都のまちも日々変わっていますが、特に東山区は何百年も前から変わらず残っているところもあって、変わらないものがあるからこそ、未来を考えられるのだなと感じるんですよね。残すことはつくり変えることとはまた違うと思いますし、どう残そうかを考えるためには未来を意識するしかないんじゃないかなと。

一旦壊して新しいものをつくることもできると思うんですが、京都は古くからあるものを活かして新しいものにしていくまちのように感じます。

──これから活動をされる中で、どう京都や東山区というまちと関わりながら展開していきたいと考えられますか。

面白いことができたらいいな、という感じで基本はあんまり考えてないんです。京都に住む同世代の人たちといろいろとやれたらいいなと思っていますし、引き続き京都をきっかけに世界の人たちと何かできたらいいなと思っています。

とりあえず京都に越してきて、ひとりや少人数の規模でできることをやっていますが、この先もそうしていくのか、もう少し大きな規模のことも京都でできるようにしていくのかを今悩んでいるところですね。大きな仕事となると代理店を挟みますし、そうなると東京のチームが請け負うことが多くなります。同様のことを地方でやる意味はあるのかという自問もありつつ、できたら楽しいような気もしていて。

これからどこでどう生活していくのかも未知ですが、「京都に住んでいるんだよ」と言うといいねと言われますし、著名な海外アーティストと出会う機会もあります。これからも京都に拠点があるのは自分にとってもいいような気がしますね。

──東山区は観光地として人の往来は多い一方、住民の減少が進んでいるエリアでもあります。こうした状況に対し、Shumaさんが感じられることがあれば教えてください。

このあたりは古い八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、先ほどの「大黒湯」もそうですが、個人商店が残っています。そういうところを利用するのはやっぱり観光客ではなく住民ですよね。もの好きな人であれば観光ついでに「大黒湯」に入ってみようかなと思うかもしれないですけど、定期的なことではないですし、そういう意味でも古いまちに根差した、まちの人を支える商店が生き残るために、住む人がいないといけないなと感じます。

今すぐに住民が増えるべきだとは思わないけど、ここから先の5年、10年を考えると、人口が増えて、多くの人が住みたいまちになることが必要な気がします。

 

不便さも受け止め「余白」を楽しむ

不便さも面白がりながら、軽やかに京都暮らしを楽しまれるShumaさん。中でも「ものづくりや仕事には、どう生きているのかが反映される」という言葉が印象的でした。答えはひとつではなく、さらにすべてが言語化されるわけではない――そんな「余白」を、町家の空間とも相まって感じたインタビューでした。多くのことが明文化され、たしかな数値が求められる現代においてこそ、改めて暮らしの中で大切にしたいことではないでしょうか。

 

インタビュー・文:浪花朱音

撮影:小黒 恵太朗

 

Profile

Shuma Jan

1992年生まれ、映像作家。
現在は京都と東京を拠点に活動。ドキュメンタリー映像や企業のブランドムービーなど作品は多岐に渡る。
言葉になる前の感覚や曖昧な領域にある美しさを映像を通じて表現することを試みている。

WEB:https://shumajan.com/
Instagram:https://www.instagram.com/shumajan/