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2025.12.12

若き店主のアツイ情熱と湯。「大黒湯」が取り戻した、心も裸になれる居場所

若き店主のアツイ情熱と湯。「大黒湯」が取り戻した、心も裸になれる居場所

東山には「大黒湯」という銭湯があります。昭和の風情をそのまま残すこの銭湯は、2025年春、設備の故障により惜しまれつつもその長い歴史に幕を下ろそうとしていました。

しかし同年9月、大黒湯は奇跡の復活を遂げます。再建の立役者は、老舗の銭湯経営者でもなければ、地元の資産家でもありません。現役の京都大学の学生で、このまちを駆け回る人力俥夫でもある青年、竹林昂大さんです。

なぜこの若者が、あえて昔ながらの銭湯の世界に飛び込んだのか。そして、彼が守りたかった大黒湯とまちの関係性とは。若き店主の熱い想いを聞きました。

 

人力俥夫として東山を走った6年、疲れを癒やした「48度」の衝撃

──まず、竹林さんと「大黒湯」との出会いについて教えてください。

僕は名古屋出身で、京都には大学進学を機に住みはじめました。大黒湯との出会いは、東山での人力俥夫のアルバイトがきっかけです。一日まちを走り回って、仕事が終わるともうクタクタで汗だく。その疲れを癒やすために、近くにあった大黒湯ののれんをくぐったのが最初です。

 

──初めて入った時の印象はどうでしたか?

衝撃でしたね。「激アツ風呂」と噂は聞いていましたが、47度、いや48度はあったんじゃないかな。僕以外、誰も湯船に入っているのを見たことがないくらい熱かったんです(笑)。でも、その強烈な熱さが、走って疲れた体に染みるんですよ。それ以来、人力俥の仕事が終わると度々ここに寄るようになり、僕にとってなくてはならない、一番好きな銭湯になりました。

 

消滅寸前のサークルと銭湯、二つの「継承」

──そんななか、2025年春に大黒湯が突然廃業してしまいました。

あれはショックでしたね。いきなりでしたから。煙突が壊れてしまったという理由だったのですが、大黒湯に限らず、銭湯って一度「休業」の張り紙が出ると、そのまま再開せずに廃業になるパターンがほとんどなんです。「ああ、大黒湯もついにその時が来たのか」と。大好きだった場所に、お別れも言えずに終わってしまうのかと思いました。

 

──そこからご自身が大黒湯の経営を引き継ぐことになるわけですが、そもそも竹林さんは銭湯にまつわる活動をしてきたそうですね。

はい、根っからの銭湯好きで京都に来てから毎日銭湯に通っていました。人力俥夫に加えて、銭湯の番台のアルバイトもしていたほどです。そのアルバイト先で、銭湯を再生・継業する「ゆとなみ社」社長の湊さんとも出会いました。

「いつか銭湯業界に行きたい」と僕が話していたことを覚えていてくださって、ある日湊さんから連絡が来たんです。「大黒湯、やってみないか?」って。

脱衣所に飾られ、大黒湯を見守る大黒さん。先代から「必ず残してほしい」とリクエストがあったそう。

 

──その経緯には「京大銭湯サークル」の活動も関わっていると聞きました。

そうなんです。実は京大銭湯サークルがメンバー不在で消滅しかけているという話を聞きまして。僕はもともとメンバーではなかったんですが、銭湯好きとして「これはなくしちゃいけない」と勝手に使命感を感じて、代表を引き継ぐことにしたんです。代表を引き継いだ後、猛烈に新歓活動をして、1ヶ月で100人くらいまでメンバーを増やしました。その活動の様子は湊さんも見守ってくれていました。

 

──今までの活動が積み重なって大黒湯を継がないか、と声がかかったんですね。でも、就職活動の時期にあって、迷いはなかったのですか?

普通なら迷いますよね。工学部の同級生たちは、大手メーカーや研究職への就職を決めていく時期でしたから。でも、不思議と迷いはなかったんです。「他の銭湯だったら断っていたかもしれないけど、大黒湯ならやるしかない」と即決しました。

 

まちへの恩返しを。「舞妓さんがタクシーで銭湯へ行く」光景を変えたかった

──もともとファンとして、大黒湯のことが好きだったのはわかるのですが、それにしてもなにが竹林さんをここまで動かしたのでしょうか?

実は、大黒湯が閉まっている間、ある光景を目にしていたことが後押しになりました。近所の宮川町の舞妓さんたちが、夜中の1時過ぎにタクシーに乗って、わざわざ遠くの銭湯へ行っている姿を見たんです。仕事を終えて、早くお化粧を落として汗を流したいのに、近くにお風呂がない。その姿を見て「これはおかしいだろう」とずっと思っていたんです。まだ10代、20代の女の子たちが、わざわざタクシー代をかけて夜遅くに遠くのお風呂へ行かなければならない。その状況を何とかしたかった。

芸妓さんや舞妓さんの名入りのうちわ「京丸うちわ」。大黒湯へ通う舞妓さんたちの京丸うちわが飾られている。

今までお世話になってきた東山に、僕ができる恩返しは何か。それは、あの子たちのために、そしてまちの人たちのために、もう一度ここで風呂を沸かすことです。大黒湯を再開させることは、単に風呂屋をやるということ以上に、このまちの暮らしを守ることにつながるのではないかと。

僕たち人力俥夫は、観光客の方々をこのまちに連れてきて、楽しんでいただく仕事をしています。でも、住んでいる方々からすれば、正直騒がしく感じることもあるでしょう。ずっとこのまちにお世話になってきた身として、何か恩返しがしたかった。その絶好のチャンスだと思いました。

──「東山への恩返し」という強い想いが原動力だったんですね。

写真提供:大黒湯 再開に向けて、学生たちがボランティアとして掃除や補修を支え、竹林さんと共に大黒湯をつくり直していった様子

 

そして再開。戻ってきたまちの人たちがかけあう声

──そして迎えた2025年9月1日の再開日、お客さんの反応はいかがでしたか?

半年ぶりに大黒湯を開けると、常連さんたちの「久しぶりやな」「生きてたか?」「元気にしてたか?」って、再会を喜び合う弾んだ声が聞こえてきて。そのことに、なによりも感動しました。銭湯がなくなったことで途絶えていたコミュニティが、お湯が沸いたことでまたつながった。「ああ、まちの風呂屋の役割ってこれなんだな」と感じました。

今では、僕がよく食べるせいか、お客さんがご飯を差し入れしてくれたりして。「ちゃんと食べてるか?」って、まるで孫のように心配してくれる。「作りすぎたから持ってきたわ」ってお惣菜をくれたり、近所の飲食店の方がご飯を持ってきてくれたり。なかには、わざわざ僕のために料理を作ってきてくださる方もいます。お湯を沸かしているだけなのに、食べるものには困らない(笑)。まちのみんなに育ててもらっている感覚です。

 

──すてきなお話です。今どき隣に住んでいる人の顔も知らないことが珍しくありませんが、ここでは違う時間が流れているようですね。

現代は人間関係が希薄になり、孤独を感じやすくなっているとも思います。昔の日本には、良くも悪くもお節介な文化があったじゃないですか。隣の人を最近見ないけど、どうしたんだろう?って気にかけたり、病気をしたら誰かが様子を見に行ったり。

銭湯は、そんな古き良きコミュニティが残っている数少ない場所なんです。「あのおじいちゃん、最近来てへんな。大丈夫かな?」といった会話が日常的に交わされる。そうしたら他の誰かが「旅行に行ってるらしいで」と情報をくれるようなつながりがあります。

服を脱いで裸になれば、肩書きも年齢も関係なく、ただの人間同士として向き合える。SNSでは繋がれないようなコミュニケーションがここにはあります。

 

心も裸になれるサードプレイスとしての銭湯

──今の東山にとって、銭湯はどのような存在だと思いますか?

資本主義的な経済合理性だけで言えば、銭湯はもう役割を終えているインフラかもしれません。各家庭にお風呂はありますし、淘汰されてもおかしくない存在です。

でも、だからこそ、ここにある温かさはあえて守らなければならないと思います。

現代はインターネットで世界中とつながれるけれど、逆に孤独を感じたり、見えない相手にストレスを感じたりする時代でもあります。そんななかで、銭湯は肩書きも年齢も脱ぎ捨てて、裸でフラットに交流できる「サードプレイス」なんです。家でも職場でもない、素の自分でいられる場所。顔の見えるコミュニケーション、肌の温もりを感じられる場所が、今の社会には絶対に必要なはずです。

 

──大黒湯にはいろんなお客さんが来るそうですね。

70代、80代の常連さんがお湯に浸かっている横に、大学生たちが「熱っ!」と言いながら入ってくる。さらに、噂を聞きつけた観光客の方もいらっしゃいます。普段なら交わらないような人たちが、同じお湯に浸かって、「熱いですね」「どこから来たん?」と自然に会話が生まれる。このごちゃ混ぜ感も大黒湯の魅力です。

高齢の常連さんたちにとっては、僕らのような若者が運営していることが新鮮みたいですし、運営を手伝う学生たちにとっても、地域のお年寄りと話す機会は貴重な体験になっています。

浴室内にも貼られている「大黒湯日記」。京大銭湯サークルの学生をはじめ、大黒湯スタッフの日常やひとことがつづられ、訪れる人との小さなコミュニケーションを生み出している

お客さんに楽しんでもらうため、日替わりの薬湯を準備する竹林さん。この日の浴場には、ほのかなコーラの香りが漂っていた

──大黒湯がなければ生まれなかったような人の交流が、ここにはあるのですね。地域の方々からは、どのような声をかけられていますか?

「あんたが辞めたら困るぞ」って、大黒湯を続けることへの愛ある圧力を日々感じています(笑)。それだけ必要とされているのはありがたいことですね。

僕自身も、このまちの一員として消防団に入ったり、地域の学校の運動会に参加したりと、地域との繋がりを深めています。大黒湯が通学路にあるので、銭湯の運営を手伝ってくれている京都大学の学生が、地元の子の勉強を見てあげることも。そうやって顔の見える関係を作っていくことで、「あの子がやってる銭湯なら応援したろ」と思ってもらえるような信頼関係をもっと築いていきたいですね。

写真提供:大黒湯 再開後の定休日には、スタッフや学生たちが浴場の清掃や点検を行い、大黒湯の日々を支え続けている

 

伝統を守るための、前向きな「休止」へ

──再開から数カ月が経ちました。現在の課題や今後の展望について教えてください。

実は今、設備が満身創痍の状態なんです。配管が詰まったり、ジェットバスのポンプが止まったり、週に2回は何かが壊れるという状況で……。今は騙し騙し修理しながら営業していますが、いつ大きな故障が起きて営業できなくなるかわかりません。

そこで、大きな決断をしました。2026年の2月から1カ月ほど休業して、クラウドファンディングで資金を募り、大規模な改修工事を行います。

 

──せっかく再開したのにまた休業するのは、勇気がいる決断ですね。

そうですね。でも、これから10年、20年とこのまちで大黒湯を「続けるため」の前向きな休業です。みんなに長く愛される銭湯として続けていくためには、今ここでしっかりと直しておく必要があります。休業明けには「待った甲斐があったな」と言っていただけるような、さらに魅力的な大黒湯にしてみせます。


 

育ててくれた東山へ、熱い恩返しを

インタビューの最中、竹林さんは何度も「まちへの恩返し」という言葉を口にしました。よそ者だった自分が、この土地に受け入れられ、育てられた。その感謝を、熱い形で返そうとしています。

「激アツ」なのは、大黒湯のお湯だけではありません。伝統と革新、地域と若者、そして人と人。それらをつなごうとする竹林さんの情熱こそが、何よりも熱い。

冬の寒さが厳しさを増す京都・東山。しばらくの改修期間を経て、春にはまた、あの煙突から煙が立ち上ることでしょう。大黒湯がなければ生まれないような人と人との交流が、ここにはあります。東山に関わる誰にでも開かれた、みんなの居場所。若き店主が沸かすお湯は、これからもまちの心と体を芯から温め続けるに違いありません。

 

<information> 大黒湯

住所:京都府京都市東山区大黒町通松原下ル二丁目山城町284

営業時間:15:00〜25:00

定休日:火曜日

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※2025年12月時点の情報です。