夢を追う若者が、
京都でギラギラできるのか?
岩田 竜二郎
Profile
1994年、京都市伏見区生まれ。放送作家。担当番組「男子ごはん」「火曜サプライズ」「始発物語」「ひふみんのニャンぶらり」「人と音楽」「アイデアシェフ」「テレビで見せれるMAXさん」「=LOVE 山本杏奈の真夜中Labo」など。テレビ・ラジオだけでなく、ネットや企業PR企画なども手がける。
【報告】東京に魂を売りました。
上京1年目の夜、お偉いさんに気に入られたくて上裸で踊った。
テレビで爆売れの放送作家を夢みて上京。コネも実力もない若者。ただただ上の人に気に入られたかった。
あの不恰好で、なんとも情けないダンス。“東京”というギラついた街だからこそ踊れた。
憧れに近づくチャンスがゴロゴロと転がっている、東京。
京都にいるより何倍も大きな夢が叶う街、東京。
だから笑顔で泥水もすすれた。
あれから3年。ようやく放送作家で食べられるようになった。
東京に染まった若者が、久しぶりの帰省。
帰ってそうそう、地元の親友から言われた。
「働き方が選べる世の中になったし、放送作家として京都で仕事を頑張ってみれば?」
ごめんな、親友。はっきり断言する。
「京都でオレは踊れない。」
「京都に「NO!」をつきつける
先にいっておくと、踊ることが正義だなんて暴論をいうつもりはない。
むしろ逆だ。ダサい。いや、鬼ダサい。でも東京は、それぐらい若者が夢にむかって必死であがける場所だ。
では、京都はどうだろうか?
京都が観光地として、素晴らしい街であることは周知の事実。そして、じじばばにとっても魅力的な街であることは間違いない。
ではここで改めて質問。
「京都は、若者が仕事で挑戦する場として、魅力的な街ですか?」
臆せず言わせてもらう。
「NO!たぶん、NO!」
歴史とか、風情とか、文化とか、すごく素敵。
でも「仕事する上で魅力的か?」と聞かれると、頭に浮かぶは、大きなクエスチョンマーク。
伝統と保守の街に、若者が新しいことに挑戦する隙間はなさそうだ。
それに、京都でバリバリ活躍する若者をあまり見ない。現に、同世代で名を売っている大多数が東京在住という現実。
“京都は若者が夢を見れる街ではなさそうだ”
春菊とベーコン・・・?
京都について考えるとき、いつもある日の出来事が脳裏に浮かぶ。
あれは大学4回生、先斗町の居酒屋で、友達とビール片手に夢を語り合っていたときのこと。
「京都からとびだして、早く東京で仕事してみたい」
と浮かれながら話す自分に、50歳ぐらいの、ベロベロの酔っ払いおじさんが絡んできた。
ろれつも回らぬ真っ赤な顔面の男は、ズケズケと僕と友達との間に割り込み、京都について熱く語り始めたのだ。
「兄ちゃんはまだ京都の魅力を知らんねん!それに、すごい奴はどこにいても輝くもんや。」
「例えるなら、京都は春菊。東京はベーコンや。春菊の苦さは、大人にならないとわからない。でも君みたいなはガキはベーコンみたいにわかりやすい味が好きなんやろ?」
正直、肉と野菜を比較されても・・・と思った。
それに、おれ春菊好きだし。
そして、店のメニューに “春菊とベーコンのサラダ”があることにも気づいてしまった。
おそらく、さっき食べたばっかりなのだろう。それに、かなりベロベロだし、酔った勢いで言った深みのない言葉のはずだ。
でも、ベロベロおじさんの言いたいこと少し分かる自分もいた。
大人になればより魅力に気づける、それが春菊であり、京都だというのだ。
自分も、東京より京都の方が好きになる日が来るのだろうか?
頭をもたげる自分がいた。
それに「すごい奴はどこにいても輝く」と泥酔しながらも力説する男の言葉が、なぜか自分の心に引っかかったのだ。
でも、それから3ヶ月後、僕は京都の街を去った・・・
正直、この時は「すごい奴はどこにいても輝く」という言葉を表面上でしか理解していなかったと思う。
この言葉を本当の意味で理解できたのは、あの日から3年以上経った今。そう、今回の帰省でだ。
なぜ、言葉の意味を理解できたのか、皆さんには先にお伝えしよう。
この旅で、京都の街で圧倒的に輝く才能と出会うことができた。
それはそれは、自分よりも圧倒的に魅力的な人間と。
最高で最低の堕落ルーティーン
今回、そんな優秀な人たちに出会えたのには理由がある。
この1泊2日の帰省プランを作るにあたって、提示されたルールはほとんどなかった。
たったひとつ課せられたルール、それは「普段の帰省では、やらないプランを考えてください。」というお願いだけ。
普段の帰省では、日中は家でゴロゴロ、夜の帳が下りる頃、中高の同級生といきつけの居酒屋でおちあう、最高で最低の堕落ルーティーンを過ごしていた。
無論、そんな日々を過ごしていると、新たな京都と出会うことはない。
そこで、今回の帰省では、普段会わない人と話してみるという、個人的なテーマを設けて旅に出た。
こんな天才に、それ言わせる?
訪れたのは、
「若手アーティストが住みながら制作活動を行う」
というコンセプトを掲げ、芸術家と世界を繋ぐ滞在型複合施設・河岸ホテル。
3・4階は若手芸術家が居住しており、最上階の5階は入居する若手芸術家たちの作品を泊まりながら鑑賞できる体験型アートホテル。
その斬新なコンセプトに、アートを愛する多くの人から支持を受け、日本各地だけでなく、世界各国からも宿泊客が訪れる。
そのホテルの創業者である、扇沢友樹さん(1988生まれ) に急遽お話を伺えることになった。
僕がテレビの企画屋なら、扇沢さんは場所の企画屋。いわば不動産版放送作家だ。
事前に調べたところ、河岸ホテルだけでなく、漫画家特化型シェアハウスや、家主と借主がインタビューを通じてマッチングできる不動産紹介サイト「京都物語商店」を企画するなど、企画・行動力ともに優れた人物のようだ。
お会いしても、只者じゃない感がヒシヒシと伝わってくる。
そんな不動産作家の扇沢さんが発した一言目で、いきなり心を奪われる事になる。
「みんなが死ぬ間際に見た走馬灯に、一瞬でも出てくる場所を作りたい。」
こんなに不動産業界が、眩しく見える言葉があるだろうか?
この人は、建物だけでなく、他人の走馬灯までデザインしようとする欲張りだ。
今、文章を読んでいる人は、扇沢さんが神様から選ばれた特別な才能の持ち主で、遠い遠い雲の上の存在だと思う人もいるかもしれない。
だが、対談中、扇沢さんの飾らない言葉を何度も聞いた。
「東京に行ける自信がなかった。埋もれていくのが嫌だった。」
京都でオンリーワンになることで、自身のアイデンティティーを保つことができる。それが、自分の幸せだと。
この天才に、こんなセリフを言わせる大都会・東京は罪な街だ。
でも同様に、現在東京で働く多くの若者が同じような不安を抱えているのではないだろうか。
だが、その不安を口に出さないように、そして深く考えすぎないように、皆天才のフリをしながら、黙ってやり過ごしている。
そして、最後に扇沢さんは自分にあるヒントをくれた。
「世界的に注目された街、京都出身というだけで十分な強みをもっている。」
特に、京都出身が京都で活動し、自分の活動や作品、事業を世界に発信していくこと自体が個性であり、十分な強みになりうると。
どうやら僕は、自分の武器を気づかぬまに捨てていたようだ。
京都を言語化できない作家
さらなる深みを求め、訪れたのは京都随一の水辺の行楽地、鴨川。
京都市の中心部を流れることから、市民の定番のデートスポットでもあり、カップルが川沿いに等間隔で座り、愛を語り合う光景は、“鴨川等間隔の法則”として地元で馴染みの光景だ。
今回、鴨川で会ってみたい人物がいた。
それは、愛する彼女、
ではない。
オンライン上で出会った、立命館大学4回生(当時)で放送作家志望の大塚晃貴さん(1998生まれ) 。
放送作家になりたいと、自身が所属する事務所に連絡をくれた。
正直この対談では、放送作家志望の学生に、業界のことを教えてあげたい、ぐらいの軽い気持ちで臨んでいた。
しかし、その安易な考えは、脆くも崩れ去る。
逆転現象がおこったのだ。
結果的に、現役放送作家の自分が、放送作家志望の学生に“気づき”を与えて貰うことになる。
出会ってそうそう、彼はいきなり質問をぶつけてきた。
「東京ではなく、京都で放送作家を続けていく方法ってありませんかね?」
その想定外の質問に面食らう自分がいた。大学時代、1秒でも早く東京に行きたかった自分には考えられない質問だったのだ。
それに、もうひとつこの質問に驚いた理由がある。
聞けば、彼は茨城県出身。大学から京都にやってきて当時4年目のいわば京都ビギナー。
“その京都愛はどこから?” 思わず本音がこぼれる。
聞けば、どうやら彼は、中学校の修学旅行で京都に足を運んで以来、この街の虜らしい。
そして、彼が続けて言った言葉にハッとさせられる。
「京都は言葉にできない魅力があるんです。それを楽しめたら最高ですよ。」
僕は、その年下の言葉に、何度も首を縦に振っていた。
自分は、放送作家という職業柄、なんでも言語化したくなる癖がある。
でも、京都の長所について話す時、アバウトにしか言語化できない部分があったのだ。
僕は、そんな京都を嫌っていた。文化と風情とか、なにかとうぜぇと思ってた。
でも、言語化できない魅力こそが、京都にとって最強の武器だということに気づかされた。
東京の魅力はわかりやすい。でも、京都の魅力は奥が深い。
お寺にパソコン、味噌汁をカラフルに。
そして、今回の旅で、今まで自分が知らなかった、新しい京都と出会うことができた。
伝統を守るだけでなく、今を取り入れ、“新しいものを生み出そうとする心意気あふれる京都”にだ。
桃源山明覺寺を例にあげよう。
ここは、お寺なのに、コワーキングスペースの開放も行なっている。
僕も、ここでゆっくりと作業をさせていただいた。
最初は、背筋をのばしてパソコンとにらめ合いっこ。でも、徐々にお寺の空間に馴染んでいく自分。
いつのまにか住職のハッピーさんとコタツで団欒していた。
そして、最後はお悩み相談にまでのってもらう。
既存の常識にとらわれないこのお寺は、年配の方だけでなく、若い人も勉強や作業をするために足を運ぶ。
まるで、令和の寺子屋。そこに、世代の壁はなかった。
お寺の敷居の高さを、コワーキングスペースの開放という“若者から求められている今”を組み合わせることによって、間口を広げたのだ。
進化系味噌汁を販売する「MISO POTA KYOTO」だってそうだ。
味噌汁が日本の食卓から消えつつある。
そこで、もっと気軽に飲んで欲しいという思いから、みそ汁とポタージュを掛け合わせたカラフルな味噌汁“みそポタ”を作り、若者からも愛される店となっている。
伝統と保守の街は、古さを好む、ただ頑固な街ではなく、既存の魅力に“オリジナリティー(企画性)”が融合され、若者まで魅了する街だった。
企画屋の自分でも、古き良きこの街に、居場所を見つけられそうな気がした。
常に新しさが求められる企画屋の自分とは、一番相性の悪い街だと思ってたのに。
もう一度、忖度なしで答えてみた
京都での旅は、これにておしまい。
最後にあの問いに対する考えを改めて書いてみた。
「京都は、若者が仕事で挑戦する場として、魅力的な街ですか?」
最後に大きな声で言わせてもらう。
「YES!絶対、YES!」
京都は東京に比べて、既に完成された街だ。伝統があり、長い歴史がある。
そういう面では、現在進行形で文化が成熟していっている東京に比べたら、若者が好むギラギラ感は少ない。
だから自分も、京都は若者にとって刺激が少ない街だと決めつけていた。
でも、お寺にパソコンを持ち込む光景を誰が想像しただろうか?
日本の伝統食・味噌汁をカラフルに変貌させることを誰が予測できただろうか?
間違いなく、ただ“古き良きに縛れられただけの街”ではない。
京都は、伝統と保守だけではなく、それを生かしながらも新しさを生み出せる温故知新な街なのだ。
しかも、今まで何千年とかけて生み出されてきた伝統をベース(フリ)にして、新しさを再構築できる権利が、これから京都を生きる若者にはある。これが、どれだけ幸せなことか。
若者が作っていくべき未来の余白が、まだたっぷり残されているのだ。
そして、京都という魅力を再構築するうえで、いま若者の力が必要とされている。
これは、帰省で出会った全てのオトナに言われたので間違いない。
あなたの個性や才能が東京で埋もれてしまうまえに。
京都で夢をかけてみてはいかがでしょう?
かくいう自分は、今回の旅を通して、将来的に京都で仕事する自分がイメージできるようになった。
もし、京都の夜に、上裸で踊っている若者がいたら声をかけてほしい。
おそらく、そいつがオレだ。
文 ー 岩田 竜二郎
編集 ー あかし ゆか
写真 ー Misa Shinshi