人とも街とも、
何度だって出会い直したい
あかし ゆか
Profile
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者をめざすように。現在はウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動している。
人生の中には、たまに「出会い直せたな」と思う瞬間がある。
それは、ずっと昔から知っていた友人の新しい一面を見ることができた時もそうだし、一度は疎遠になってしまった人と再会した時もそうだし、初対面ではあまり印象がよくなかった人と深く話す機会を得た時にだって思うこと。
出会いは決して、最初の一度だけのものではない。気持ちや機会次第で、同じ人と、何度でも出会い直すことができるのだ。
──そしてそれは、きっと「人」だけではなく「街」にだって言えること。
11月の半ば。私は、自分が生まれ育った京都という街ともう一度出会い直すために、京都へと足を運んだ。
「冒険する場所」から「帰る場所」になっていた
京都駅の近くで生まれ育ち、22歳で就職して上京するまでずっと実家を離れなかった私は、青春時代のほとんどの記憶が京都にある。
中学生、高校生の頃は親が厳しく、また部活動に専念していたこともあり、京都の街を探検することも、街に対して興味を持つこともあまりなかった。
けれど、大学生になり「自由」を手にした途端、京都という街は、私にとって冒険の場所になった。
四条河原町や三条あたりにひしめく魅力的な居酒屋やカフェに、さまざまな神社仏閣、そして古着屋さんをはじめとした服飾店や雑貨屋さん、大きな書店から小さな個人書店……。
おもしろい大人やお店に出会えることがうれしくて、私は京都という街をひたすらに冒険した。
バイト先の先輩に連れていってもらった小洒落たバーも、その後何度も足を運ぶことになる味のある喫茶店も、私が文章を書くきっかけになった本屋さんも、私にとっては、すべてが未知の世界だった。
けれど、大学を卒業して上京したことで、私にとっての「冒険する場所」は、京都から東京へと変化した。
少年漫画で次々と冒険地が移り変わっていくように、私の冒険ステージは、次の場所へと変わったのだ。
上京してからも、年に何度も京都に帰ってはいたけれど、京都は「冒険する場所」ではなくなっていた。
落ち着くお店、大切な人たちが「おかえり」と言ってくれる場所。
自分の心の安らぎを感じるための場所……。
そう、京都は私にとって、「帰る場所」になったのだった。
「無知の知」に気づく
私が東京にいる間も、京都の街はどんどん変化していた。
そのことは、雑誌を読んだり、京都の友人や東京にいる感度の高い知人の話を聞いたりして、なんとなくは知っていた。
あいかわらず京都では、魅力的な人たちが、さまざまなおもしろい場所を作り、おもしろいことをしている。
けれど私は、もはや京都にそういう「新しいもの」は求めていなかった。
刺激を感じるのは、東京や別の地方で充分で、私は京都に安定を求めていた。
ずっと付き合っている恋人に、次第に刺激を求めなくなっていくように、私は「新しいところなんて知らなくても、充分に魅力的だと思っているんだからそれでいいじゃない」と思っていたのだ。
だから毎回京都に帰省しては、同じお店に行き、同じ人に会い続けた。
変わらずにその人たちが迎え入れてくれることがうれしかった。
おかえり、と言ってくれることがうれしかった。
だが、9月頃。私はとある雑誌の仕事で、京都の老舗のいろんなお店を取材する機会を得た。
大学生の時には敷居をまたげなかったような、老舗の旅館、骨董品店、祇園にあるステーキ屋……。お寺も含め、3日で10箇所ほどに取材をした。
その時に、私は今まで知らなかった、京都という街に息づく果てしない歴史や伝統を思い知らされた。
伝統を守るために必要なものは、「固さ」だけではなく「柔らかさ」であることも教えてもらった。
京都は、変わり続けているからこそ、変わらない魅力がある。「京都って、おもしろい街なんだな」ということを、あらためて感じたのだった。
大人になってからこそ楽しめる場所がある。そして、今の私の感性だからこそ気付けることがある。
そんなことに、あらためて気づいたのである。
そして、ふと思ったのだ。私は京都のことを、知っているようで、何も知らないんだなと。もっと、京都のことを知りたいなと。
人間関係でも、長年一緒にいると、その関係性が居心地よくなって、相手の新しい魅力を見つけようとしなくなることがある。
けれど、今ある関係性に甘んじるのではなく、変わらない部分や変わった部分、今まで知らなかった部分にちゃんと目を向けようとする姿勢は、よりよい関係性を築き上げる上で、とても必要なのではないか。
そんなことを考えた私は、京都という古くからの魅力的な友人のことを、もう少し知ってみたくなったのだった。
知ったふりをしないこと
そんなこんなで私は11月、ふたたび京都にやってきた。
今回は、前述のような思いから、「いつもの帰省なら行こうとは思わない場所」に行くことにした。
1日目に訪れたのは、東京で足繁く通い、スタッフさんたちと仲良くなったお店「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」の系列店である「Len」や、学生時代、これでもかというほど通っていた商業施設「新風館」がリニューアルされていたことを耳にしていたので、同施設を訪れた。夜は、新風館に併設されたACE HOTELに宿泊した。
2日目には、昨年四条河原町にできた「GOOD NATURE STATION」の中にある「NEMOHAMO」というオーガニックの化粧品(いつも愛用している)のお店で、開発を担当している方にお話を聞いたり、
最近興味を持っている「禅」のお寺である龍安寺に足を運んだり、
ずっと行ってみたかったro-jiというアクセサリー屋さんや、
昔の思い出が詰まった京都文化会館(現ロームシアター)、そして京セラ美術館などに足を運んだ。
たまたま平安神宮では、京都蚤の市が開催されていて、蚤の市を覗いたりもした。
今回私が訪れた場所をあらためて思い返してみると、それらは「昔なら興味を持たなかったかもしれない」場所、あるいは「思い出が染み付いているけれど変わってしまった」場所だった。
NEMOHAMOのような、生産背景にこだわりを持っているブランドには、昔の私だったらあまり興味を持てていなかったかもしれない。
龍安寺のようなお寺も、観光地としては行っていたかもしれないけれど、お庭を眺めたり、禅の思想を学んだりすることは、昔の私なら絶対にしなかっただろう。
また、新風館は、学生時代に何度も足を運んだ、思い出が染み付いていた場所だった。同じく京都文化会館(現ロームシアター)は中学生の時の文化祭の会場だったし、京都市美術館(現京都市京セラ美術館)も、学生時代によく訪れた。
これらはいずれも、形を残しつつも、運営母体などが変わり、リニューアルされて変わった場所たちだ。
「あらためて魅力を知りたい」と思って選んだ先には、私の内面の変化や思い出が、確実に反映されているのだった。自分が選ぶ場所には、必ず自分の内面が反映されている。一見なんとなくに思えても、理由はたしかに、そこにあるのだ。
京都は、一生長く付き合っていきたい友人のような。
思い出の場所、新しく縁ができた場所に足を運ぶことで、私は「変わらずいてくれてうれしい」「変わってしまって寂しい」「自分って今、こんなことを感じられるようになったんだ」などといった、さまざまな自分の感情に出会った。
そしてそれは、ずっと長く付き合っている大切な友人に対して思う気持ちと、どこか似通っている部分があるなと思った。
相手の変わらないところ。
相手の変わったところ。
自分の変わらないところ。
自分の変わったところ。
相手が鏡となって、自分自身が映し出される。自分自身が鏡となって、相手が映し出される。
京都に対して、毎回今回のような巡り方をしようとは思えない。
やっぱり京都は私にとっては「帰る場所」の側面が大きくて、限られている帰省では、ほっと落ち着く人たちに時間を割きたいと思ってしまう。
けれど、たまには。たまにはこうやって、あらためて京都という場所を見直す時間を設けてもいいんじゃないかな、と思うのであった。
一生、長く付き合っていたい友人みたいな存在だから。
だからこれからも、何度だって京都と、出会い直したいなと思う。
文・編集 ー あかし ゆか
写真 ー Misa Shinshi